「むろまち」は1971年に発表した田村喜子のデビュー作品です。
【あとがき】(田村喜子)
私が生まれ育ったのは、京都室町「六角さんのへそ石」のすぐそばでした。そこは商人の街でした。私の敬愛する伯母が住んだ街でした。彼女は気位の高い、見事な京女でした。この伯母の夫が本書の主人公です。
商人にも商人の道があります。「むろまち」の主人公は、生涯「熱心努力」を常夜燈の如く体内にともし続けました。彼は室町あきんどとして一生を通じて、商人の道をわきまえ、商人が商品を取引きするのは営利からだけではなく、本質的に社会全体の生活の安定や秩序に役立つ仕事であると信じ、それに向って日夜努力したのです。彼の生涯は京都?上方 の町人の哲学、石田梅巌 一六八五? 一七四四 の石門心学の教えそのものであったと私は思います。私の知るところ、彼が体系として石門心学を学んだ形跡はありません。彼にその道を教え、しこんだものは「室町の空」であり、「室町の土」でした。義を以て仁を養い、商人の金は汗水たらして商ないして儲けたものだけだと、彼は身を以て石門心学を実践したのです。これは月ロケットのとぶ今日でも、単に懐古趣味として片ずけられるものでなく、現代人の生き方、生き 甲斐に何らかの示唆を与えるものではないでしょぅか。
この作品に私が年来、最も尊敬する作家水上勉先生に序文をいただいたことは光栄の限りで あり、おそらく、それは終生私から去ることのない深い感激であろぅかと思います。
また、同じく京都の生んだ代表的画家、向井潤吉先生から装幀をしていただいたことに深い 幸福感をおぼえます。心から両先生に厚く御礼を申し述べます。
タイトル | むろまち |
著者 | 田村喜子 |
出版社 | 修道社 |
初版発行日 | 1971年9月15日 |
サイズ | 四六判 |
ページ数 | 324ページ |
定価 | 640円 |
【序文】(水上勉 先生)
「むろまち」の序
「むろまち」の作者田村喜子さんには 一度も面識はない。修道社主秋山修道さんから、ゲラ刷りを読まされて、はじめてこの作者に私は会うた気がした。
「むろまち」は京都室町の「物語」といってもよいだろう。「三条室町衣棚は聞いて極楽居て地獄お粥かくしの長のれん」とまで唄われた古い問屋の内側を知る人によって書かれた呉服問屋の一代記といえる。しかし、それだけなら、私はこの序を書かなかったろう。
私は少年時に、禅寺の小僧をしていて、よく室町を歩いた。盆の棚経にいったのである。棚経とは八月十六日に、菩提寺の和尚または小僧が壇家を回向してまわる行事だが、この日、京の仏教信者は、仏壇から一切の位牌をとりだして、奥座敷の床にならべ、蓮の葉の上に団子と新鮮な野菜を盛って、先祖の霊をよび、菩提寺の回向をうける。貧しい家も富んだ家も、これがすまぬと盆ははじまらない。私の寺は室町に壇家をもっていたので、旧家の京格子の表口をはいると、いやにうす暗かったのと、中庭や土蔵をむすぶ廊下のしめっていたのが忘れられない。大奥の仏間へいくのに店も通つた。大問屋ほど、女中、丁稚、番頭の数が多くて、盆は薮入りなのでひつそりした仏間には、大旦那や若旦那や、古い使用人だけが、珠数をもつて集まつた光景もおぼえている。「むろまち」を読んでいて、この少年時代がょみがえつて、私は何どか、溜息をついて、読むのをやめ、回想にひたつた。
田村喜子さんの文章が、近頃流行の理屈が先に立つ固苦しい感じでなく、わかりやすくて適確な表現を、しつかりわきまえているからだろう。八十三才で、松村亀次郎が、その長い生涯を閉じ、葬送車が、かつて彼が丁稚にきた小池商店のあとのビルの通りを行きすぎるところまで読んで、私は涙ぐんだ。
「松村亀次郎商店の前を、亀次郎の柩は静かに通り過ぎた。 次郎の通る最後の室町であつた。松村亀次郎商店はその日も店を開け、商ないをしていた」で終るこの抑制のきいた文体に私は感心もした。
大阪には船場物といわれる作品がある。京都のむろまちものは少ない。しかし、これは、ありふれた根性もので区分けされる作品ではない。かりに物語にそんな区分があるならぬきんでているょうに思う。京の問屋は生活に曆をもつている。作者はその暦を人事の喜怒哀楽の流れの中に美事に捉えている。その真心に私は打たれた。
【装幀画】(向井潤吉 先生)
【NHKで朗読放送】(橋爪功さん)
1972年に作品全編がNHKラジオ【私の本棚】で俳優の橋爪功さんが朗読されて放送されました。
放送局:NHK
番組名:私の本棚
朗読者:俳優・橋爪功さん
第1回放送 1972年2月17日 ~ 第15回放送(最終回)3月7日
放送を自宅で録音したものをデジタル化して公開しました。ご自由にお聴きください。
NHK 私の本棚【第1回~第3回】
(50年以上前のカセットテープで、一部テープの劣化で再生できなかったところがあります。)